ワオ・コーポレーション 感動が未来をひらく 50th Anniversary

Message

ワオ・コーポレーションは
2026年5月に
創立50周年を迎えます。

これまで私たちを信じて
大切なお子さまを託してくださった
お客さまをはじめ
教育の現場を支えてきた仲間たち
そしてWAOの歩みを支え見守ってくださった
関係者の皆さまに、心より感謝申し上げます。

ワオと歩んでくださった皆さまからの

お祝いメッセージ

N.M

本社スタッフ / 社員・スタッフ

創立50周年、誠におめでとうございます。 日々の現場の積み重ねと、子供たち一人ひとりの努力が この長い歴史へとつながっているのだなと改めて感じています。 これからも学びと感動の場を、丁寧に伝えられる役割を担って いきたいと思います。

さのりえ

能開センター / 卒業生

能開センター盛岡校に入ったのは20年前の中学2年のときです。 急に下がった成績に焦って、たまたまポストに入っていたチラシをみて、親に頼み講習に参加することにしました。 家や学校から少し離れた場所にあり、私にはアウェーの環境で、随分緊張したのを覚えていますが、 クラスの中には私を良い意味でいじってくれる、他校の生徒や、クラスの先生たちがいて、あっという間に教室に馴染んだことを覚えています。 それから受験期をまたぎつつ約3年お世話になりましたが、思い出すのはとにかくいつも笑っていたこと。文字通りいつも『爆笑』していたことでした。 当時盛岡校にいた先生たちは、今では考えられないほど(?)自由なスタイルで授業をされていて、今となってはそれが先生たちの戦略だったのかわかりませんが… とにかく、机に皆と一緒に向かうことが、楽しいんだと教えてくれた時間をつくってくださいました。 その後、他の塾に行ったこともありましたが、能開センターで皆と笑いながら勉強した時期が一番成績が伸びたように思います。 また、当時能開でできた友人たちとの絆は、そのまま一緒に進学した高校生活の土台にもなり、スムーズな学校生活を送れたことに本当に感謝しています。 いまでもプチ同窓会などで集まっては、能開センター盛岡校の思い出を話し合い、懐かしく楽しかった気持ちを味わっています。

M.R

その他サービス / 社員・スタッフ

ワオ50周年おめでとうございます!

おたけ

能開センター / 卒業生

私は小学5年生から高校3年生まで能開センターに通わせていただきました。能開センターに出会うまで、複数の塾教室に通いましたがどうしても続けることが出来ず、1-2か月で辞めてしまっておりました。いまだに覚えておりますが、センターに来た初日、「一筆書きした星(☆)に二本の線を引いて、三角形を10個作ってください」という問題を出題されました。もちろん、時間内では解くことができなかった私は、家でもずっと問題を考えていました。結局、1週間かけても解くことが出来ず、答えの分かった同級生から答えを教えてもらう形になりました。この時に、じっくり問題を考える楽しさが分かったと同時に、友人に負けたくないという競争心が芽生えた私は、それから能開に夢中で通い、友達でありかつライバルであった友人たちと切磋琢磨し合い、厳しい・かつ楽しい雰囲気を築いてくれた先生たちのおかげであっという間に高校3年生になりました。現役で国公立大学の医学部に入学、卒業し、今は海外で研究者として働いておりますが、今でも難しい課題にチャレンジする面白さと、周りのライバルたちに負けたくないという気持ちが私の臨床や研究の原動力になっております。この土台を築いていただいた能開センターに心から感謝します。50周年誠におめでとうございます。

CAP

能開センター / 保護者

50周年、心よりお祝い申し上げます。 通塾を始めた当初は、準備や宿題、スケジュール管理など、 親子ともに大変なことだらけでしたが 日が経つにつれ、塾での出来事を楽しそうに話してくれたり 友達が通っているからと自習に通ったりする姿を見て、 しっかり成長してくれているなと実感しています。 来年は受験生としての一年になりますが、 引き続きよろしくお願いいたします。

佐藤優介

能開センター / 卒業生

高校卒業までを過ごした秋田で、私は能開センターに通っていました。能開は、私にとって単に「受験に合格するための場所」ではなく、「どのような人生を歩みたいか」を考える場でもありました。 先生方は勉強だけでなく、将来の夢や学校での悩み、人生の相談にまで親身に耳を傾けてくださいました。その上で教えられた「勉強は自分でするもの」という言葉は、強制ではなく、自ら考え行動する姿勢の大切さを教えてくれました。 また、共に机を並べた仲間の存在も大きな支えでした。向学心の強い仲間と、上位大学を目指すからこその不安や葛藤を共有し、価値観を磨き合った時間は、今の私の人生観の基礎となっています。 現在、大学教員として学生に学びの機会を提供しつつ、仲間と共に夢を追う活動を続けられているのは、能開で学んだ「考え抜く姿勢」と「仲間と共に頑張ることの大切さ」を経験したことが原点にあるからです。 現役生の皆さんへ。学びは学生時代で終わるものではなく、一生続くものです。今この瞬間に、能開で「学ぶことの楽しさ」と「仲間と高め合う喜び」を存分に味わってください。その経験は、必ず未来の自分を支える財産になると思います。

梅木 優作

能開センター / 卒業生

WAO社50周年おめでとうございます!! 通塾している3年間、休校日以外はほぼ毎日通った思い出の場所が今もなお残っていることは嬉しいですし、心よりお祝い申し上げます。 今、私はIT会社を起業して経営しております。京都大学在学中に起業したのですが、その際にも西澤代表や池森社長をはじめWAO社の方々には大変お世話になりました。まだまだ道半ばではありますが、順調に成長しております。これもWAO社の方々が支援(教育)してくれたおかげだと感謝しております。 会社を設立してから7年弱が経ちました。たった7年でも時代は大きく動き、その変化に対応しながら経営してきました。それが50年となると、乗り越えてきた壁の数や積み上がったきた経験、社会にもたらした影響は凄まじいものだと感じます。会社の寿命のデータなどを見てもこの年齢が大きな意味を持つことは実感できます。 さて、時代はAI時代となりました。「教育」は生成AIが大きな影響を与えるものの一つです。WAO社がこの50年間に積み上げてきたものに対して、どうAIを活用し更なる成長を遂げていくのかワクワクしております。WAO社の更なる発展を願って、簡単ではありますがお祝いの言葉とさせていただきます。

小花 彩人

能開センター / 卒業生

中学生の頃、高校受験のために壬生から能開センターへ通い始め、そのまま中学3年間・高校3年間、計6年間お世話になりました。地元では「自分はそこそこ出来る方」と思っていましたが、能開で付属中や作新の生徒たちと机を並べる中で、自分より圧倒的に優秀な仲間に出会い、悔しさ以上に大きな刺激と喜びを感じたのを覚えています。 一方で、自習室で騒いだり、今思えば目を覆いたくなるような悪行もありましたが、それでも見捨てずに向き合ってくださった簗島先生には感謝しかありません。能開で学べたからこそ、机に向かう習慣、コツコツ積み上げる大切さ、「自分で自分を動かす」自習の姿勢が身につきました。 現在は米国アリゾナ州で肝臓移植外科医として働いています。医師になってからも勉強や研究は一生続きますが、その土台は能開で培ったものです。ドログル先生、簗島先生、野澤先生をはじめ、関わってくださった皆さまに心より御礼申し上げます。

加藤 龍平

能開センター / 卒業生

結局人生で通った唯一の塾が能開センターでした。 小学校高学年から通い始めた能開、中学高校と進むにつれて徐々に友人も増え、楽しくなって自習室に自分から行くまでに。 授業の質が非常に高いのはもちろん、それ以上に先生方・スタッフの方が作り出してくださっていた能開の校舎のいい緊張感と楽しさが共存した雰囲気が、塾に足を運ばせてくれて自然と勉強できていたのかなと思います。 自習仲間と一緒に食べたうどん、休み時間の雑談、センター前日に国語の模試を一緒に解いてトラウマを一緒に抱えた仲間、いろいろな思い出が鮮明に思い出されます。 受験期も辛かった記憶よりも、友人と笑いながら駆け抜けた、という印象が強く、能開に通っていなかったらまた違った人生を送っていたのかもなと思います。 今は東京で社会人として働いていますが、今でもよく会う地元の友達は能開の人が多い気がします。 学生時代の濃い時間を能開で一緒に過ごせたからこそ今でも繋がっていられるのだろうなと思いますし、能開には心から感謝しています。本当にありがとうございました。 そして、50周年おめでとうございます。これからも応援させてください!

N.Y

能開センター / 卒業生

ワオ・コーポレーション創立50周年おめでとうございます。在籍していた頃から10年以上経過していますが、こうしてコメントを書かせていただけること嬉しく思います。 大学受験のため能開センターでお世話になりました。高校での勉強は思っていたよりも大変で、勉強の進め方で悩むことが多くありました。自暴自棄になって頑張ることを諦めかけている私の状況をいち早く察知した、ある先生が手を差し伸べ叱ってくれました。 家族以外に悩みを聞いてくれる大人がいることは、当時の自分にとってすごく支えになりました。その先生には3年間勉強だけでなくメンタル面でも支えていただき、なんとか辛い受験勉強を乗り越えることができました。結局追加で1年かかってしまいましたが、最終的に目標の学部に合格でき、小さい頃からの夢であった職業に就くこともできたのも、能開での3年間があったからだと感じています。 能開に行けば切磋琢磨できる友人と信頼できる先生達が必ずいました。その存在が高校時代の支えであり、かけがえのない居場所でした。 あの頃の経験が今の自分につながっているなと感じています。 私のように卒業していった生徒さんがこれまでたくさんいると思います。これからも生徒一人一人と正面から向き合ってくれる能開センターが長く永く続くことを心から願っています!

ヤナP

能開センター / 卒業生

50周年おめでとうございます。 まだ一桁代の年齢から気付けばアラフォーの中年になり、子供を持つ親になりました。 今だに当時の同じ学舎で過ごした仲間とは年に一度は会い当時の思い出話や近況報告をする間柄です。 中学校や高校、大学の同級生よりもよく連絡をとるいわば腐れ縁?の様な間柄ですが全ては「能開センター」が繋いだ縁だとしみじみ思います。 多感な時期に仲間や先生方と切磋琢磨し時にはぶつかり合いながらも同じ目標に向かって邁進できた経験は自分にとっては一生の財産です。 今後の御社のご活躍を期待してお祝いのメッセージとさせて頂きます。

阿部 怜

能開センター / 卒業生

50周年おめでとうございます。 中学1年から高校3年まで能開センター秋田校にてお世話になりました。 能開センターは、家でも学校でもない第三のコミュニティでした。どの教科においても、先生が生徒に一方的に解法を教えるということはなく、生徒自身が自らの考えを述べる機会がありました。生徒自身が黒板の前に立ち、解法を説明する機会もありました。自分にはない視点を同じ教室の他の生徒から得られ、良い刺激を受けることができました。学校の枠を越えて、ともに高め合う仲間がいる環境は貴重なものでした。 また、能開センターは、学校だけでなく県の枠を越えた高め合いの場でもありました。全国規模の学力テストが定期的に実施され、秋田よりも受験競争が激しい地域の受験者と比較した自分の立ち位置を確認できました。中学3年生の際には、東日本の各校から宇都宮に生徒が集う合宿の機会もありました。学力テストの成績上位者リストに掲載されていた生徒と同じ屋根の下で学習する経験を通じて、より高いモチベーションで日々の学習に臨むことができました。 今後とも、能開センターが学校、地域の枠を越えた高め合いの場であり続けることを心から願っております。

浅野 翔貴

能開センター / 卒業生

一番印象に残っているのは、中学3年生の夏に参加した模擬入試です。お盆に西大和高校を貸し切り、奈良県中の能開生が集まり、本番さながらの雰囲気で試験を受けました。試験後、掲示板に合否が一斉に張り出され、自分の番号を見つけた瞬間の高揚感は、今でもはっきり覚えています。 夏期講習中は、毎日朝から夜22時まで勉強漬け。それでも不安は消えず、「本当に大丈夫か」と思いながら過ごしていました。だからこそ、あの模擬入試で努力が報われた経験が大きな自信になり、本番の合格発表以上に嬉しかった記憶があります(笑)。 振り返ると、あの感動を生んだのは、同じクラスで夜遅くまで残って勉強した仲間や、最後まで向き合ってくれた先生の存在でした。その「仲間と挑戦することで人は前に進める」という実感が仕事選びにもつながり、現在は組織人事コンサルの会社で、仲間と感動を生み出す組織づくりを支援しています。うまくいかないことばかりですが、それでもあの頃に身についた「諦めずに弱さと向き合う力」に支えられています。現役生のみんなも、仲間と先生を信じて、頑張ってください!

前田 智大

能開センター / 卒業生

中学受験で能開センターのお世話になりました。 これまで、私は小学校・中高・大学で先生たちに運良く恵まれ、自分でも想像しなかったような道に進むことができました。その中でも、一番初めに出会った恩師と呼べる先生が、現社長の池森先生です。 能開を出た後は、灘、MITを経て起業家となり、刺激的な道を歩んでいます。池森先生をはじめ、能開で教えていただいた先生方には、みなさん学びを楽しむ姿を見せてもらって成長への意欲を引き立てていただきました。 教育の領域で事業を行っているので能開センターのように、人が変わり、より良い未来を作るために頑張っていきます。

スペシャルコンテンツ

思い出エピソード

現役社員やスタッフ、OB・OGからワオ・コーポレーションで働く中で経験した、心に残るエピソードをご紹介します。

能開センター 卒業生・講師
1984-1988年在籍 / 中瀬古 佳史

学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと

中瀬古 佳史

創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生・講師
中瀬古 佳史
1984-1988年在籍 / 中瀬古 佳史

学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと

創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
2001-2003年在籍 / 向井亜季

出逢えた先生に感謝

向井亜季

私は中学一年生を迎える春休みから能開センターに通い始めました。姉も能開に通っていたのでなんとなくの「塾のイメージ」はあったように思います。 実際通ってみると、そんな私が持っていたイメージ(かっちりと勉強だけをするところ)とは全くと言ってよいほど違う環境が待っていました。 とにかく授業が楽しくて塾がある日を楽しみにしていたこと、定期テスト前に授業がなくなってしまうことさえ嫌だったことを思い出します。1時間半?2時間の授業で集中力を切らさずに受けられていたのは、面白い授業をしてくださった先生方のおかげです。 沢山思い出がある中でよく覚えているのは、高校受験を控えた中学三年生の時のこと。私が希望した私立の学校は、当時の実力では届かないところでした。ですが先生は、止めることなく私の希望を尊重して志望校を決めてから受験の日まで補講をしてくださいました。結果、回し合格となりましたが真正面から向き合ってくださったことが嬉しかった、そんな思い出です。 そんな先生方と出逢えた能開センター。ここを選んでよかった。そんな3年間を過ごした場所です。

能開センター 卒業生(チューター)
向井亜季
2001-2003年在籍 / 向井亜季

出逢えた先生に感謝

私は中学一年生を迎える春休みから能開センターに通い始めました。姉も能開に通っていたのでなんとなくの「塾のイメージ」はあったように思います。 実際通ってみると、そんな私が持っていたイメージ(かっちりと勉強だけをするところ)とは全くと言ってよいほど違う環境が待っていました。 とにかく授業が楽しくて塾がある日を楽しみにしていたこと、定期テスト前に授業がなくなってしまうことさえ嫌だったことを思い出します。1時間半?2時間の授業で集中力を切らさずに受けられていたのは、面白い授業をしてくださった先生方のおかげです。 沢山思い出がある中でよく覚えているのは、高校受験を控えた中学三年生の時のこと。私が希望した私立の学校は、当時の実力では届かないところでした。ですが先生は、止めることなく私の希望を尊重して志望校を決めてから受験の日まで補講をしてくださいました。結果、回し合格となりましたが真正面から向き合ってくださったことが嬉しかった、そんな思い出です。 そんな先生方と出逢えた能開センター。ここを選んでよかった。そんな3年間を過ごした場所です。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2018年在籍 / おかざき

善き未来へ向けて

おかざき

この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
おかざき
2005-2018年在籍 / おかざき

善き未来へ向けて

この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
2007-2014年在籍 / あいうえお

ありがとうございました!!

あいうえお

能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!

能開センター 卒業生(チューター)
あいうえお
2007-2014年在籍 / あいうえお

ありがとうございました!!

能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!

能開センター 卒業生(チューター)
2002-2006年在籍 / 吉田悠亮

「教える」原点

吉田悠亮

中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。

能開センター 卒業生(チューター)
吉田悠亮
2002-2006年在籍 / 吉田悠亮

「教える」原点

中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2009年在籍 / みやっちゃん

楽しかった能開センター

みやっちゃん

元々兄が通っていて、ずっと興味があった能開センター。小学5年生からが入学対象だったため、しばらく入学できなかったものの、小学5年生になるとすぐに入学しました。 元々勉強は嫌いではなかったけれど、先生方の授業がすごく面白くて、毎週塾に行くのが本当に楽しみでした。勉強に行くというよりは、お笑いライブに行くような感覚に近かったです(笑)ただ、楽しみながらも着実に学力は身につけられていたようで、無事に第一志望の高校に合格することができました。 また、「高校合格がゴールではない!」と先生方はいつも仰っていて、その先の人生にも繋がる指導をして下さいました。おかげで、大学も就職も満足のいく結果になったと思っています。 先生方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。 WAO50周年、おめでとうございます!

能開センター 卒業生(チューター)
みやっちゃん
2005-2009年在籍 / みやっちゃん

楽しかった能開センター

元々兄が通っていて、ずっと興味があった能開センター。小学5年生からが入学対象だったため、しばらく入学できなかったものの、小学5年生になるとすぐに入学しました。 元々勉強は嫌いではなかったけれど、先生方の授業がすごく面白くて、毎週塾に行くのが本当に楽しみでした。勉強に行くというよりは、お笑いライブに行くような感覚に近かったです(笑)ただ、楽しみながらも着実に学力は身につけられていたようで、無事に第一志望の高校に合格することができました。 また、「高校合格がゴールではない!」と先生方はいつも仰っていて、その先の人生にも繋がる指導をして下さいました。おかげで、大学も就職も満足のいく結果になったと思っています。 先生方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。 WAO50周年、おめでとうございます!

能開センター 卒業生(チューター)
2007-2021年在籍 / M.S

私の原点

M.S

中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。

能開センター 卒業生(チューター)
M.S
2007-2021年在籍 / M.S

私の原点

中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。

能開センター 講師
1997-2000年在籍 / 井上 清二 

人生最高の師

井上 清二 

能開センターで過ごした青春時代は人生において宝物になりました。クラスの担当だった小谷先生には卒業後もさまざまな面でお世話になり、私の結婚式にも出席いただきました。感謝しきれません。素晴らしい先生と出会わせていただいた能開センターには家族全員感謝しております。

能開センター 講師
井上 清二 
1997-2000年在籍 / 井上 清二 

人生最高の師

能開センターで過ごした青春時代は人生において宝物になりました。クラスの担当だった小谷先生には卒業後もさまざまな面でお世話になり、私の結婚式にも出席いただきました。感謝しきれません。素晴らしい先生と出会わせていただいた能開センターには家族全員感謝しております。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2006年在籍 / 安田 麻衣

あったかい居場所でした!

安田 麻衣

高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!

能開センター 卒業生(チューター)
安田 麻衣
2005-2006年在籍 / 安田 麻衣

あったかい居場所でした!

高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!

能開センター 卒業生(チューター)
2008-2013年在籍 / 吉岡洸生

小学生の頃の課題図書の話

吉岡洸生

小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。

能開センター 卒業生(チューター)
吉岡洸生
2008-2013年在籍 / 吉岡洸生

小学生の頃の課題図書の話

小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。

能開センター 卒業生・講師
1984-1988年在籍 / 中瀬古 佳史

学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと

中瀬古 佳史

創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生・講師
中瀬古 佳史
1984-1988年在籍 / 中瀬古 佳史

学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと

創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
2001-2003年在籍 / 向井亜季

出逢えた先生に感謝

向井亜季

私は中学一年生を迎える春休みから能開センターに通い始めました。姉も能開に通っていたのでなんとなくの「塾のイメージ」はあったように思います。 実際通ってみると、そんな私が持っていたイメージ(かっちりと勉強だけをするところ)とは全くと言ってよいほど違う環境が待っていました。 とにかく授業が楽しくて塾がある日を楽しみにしていたこと、定期テスト前に授業がなくなってしまうことさえ嫌だったことを思い出します。1時間半?2時間の授業で集中力を切らさずに受けられていたのは、面白い授業をしてくださった先生方のおかげです。 沢山思い出がある中でよく覚えているのは、高校受験を控えた中学三年生の時のこと。私が希望した私立の学校は、当時の実力では届かないところでした。ですが先生は、止めることなく私の希望を尊重して志望校を決めてから受験の日まで補講をしてくださいました。結果、回し合格となりましたが真正面から向き合ってくださったことが嬉しかった、そんな思い出です。 そんな先生方と出逢えた能開センター。ここを選んでよかった。そんな3年間を過ごした場所です。

能開センター 卒業生(チューター)
向井亜季
2001-2003年在籍 / 向井亜季

出逢えた先生に感謝

私は中学一年生を迎える春休みから能開センターに通い始めました。姉も能開に通っていたのでなんとなくの「塾のイメージ」はあったように思います。 実際通ってみると、そんな私が持っていたイメージ(かっちりと勉強だけをするところ)とは全くと言ってよいほど違う環境が待っていました。 とにかく授業が楽しくて塾がある日を楽しみにしていたこと、定期テスト前に授業がなくなってしまうことさえ嫌だったことを思い出します。1時間半?2時間の授業で集中力を切らさずに受けられていたのは、面白い授業をしてくださった先生方のおかげです。 沢山思い出がある中でよく覚えているのは、高校受験を控えた中学三年生の時のこと。私が希望した私立の学校は、当時の実力では届かないところでした。ですが先生は、止めることなく私の希望を尊重して志望校を決めてから受験の日まで補講をしてくださいました。結果、回し合格となりましたが真正面から向き合ってくださったことが嬉しかった、そんな思い出です。 そんな先生方と出逢えた能開センター。ここを選んでよかった。そんな3年間を過ごした場所です。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2018年在籍 / おかざき

善き未来へ向けて

おかざき

この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
おかざき
2005-2018年在籍 / おかざき

善き未来へ向けて

この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。

能開センター 卒業生(チューター)
2007-2014年在籍 / あいうえお

ありがとうございました!!

あいうえお

能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!

能開センター 卒業生(チューター)
あいうえお
2007-2014年在籍 / あいうえお

ありがとうございました!!

能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!

能開センター 卒業生(チューター)
2002-2006年在籍 / 吉田悠亮

「教える」原点

吉田悠亮

中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。

能開センター 卒業生(チューター)
吉田悠亮
2002-2006年在籍 / 吉田悠亮

「教える」原点

中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2009年在籍 / みやっちゃん

楽しかった能開センター

みやっちゃん

元々兄が通っていて、ずっと興味があった能開センター。小学5年生からが入学対象だったため、しばらく入学できなかったものの、小学5年生になるとすぐに入学しました。 元々勉強は嫌いではなかったけれど、先生方の授業がすごく面白くて、毎週塾に行くのが本当に楽しみでした。勉強に行くというよりは、お笑いライブに行くような感覚に近かったです(笑)ただ、楽しみながらも着実に学力は身につけられていたようで、無事に第一志望の高校に合格することができました。 また、「高校合格がゴールではない!」と先生方はいつも仰っていて、その先の人生にも繋がる指導をして下さいました。おかげで、大学も就職も満足のいく結果になったと思っています。 先生方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。 WAO50周年、おめでとうございます!

能開センター 卒業生(チューター)
みやっちゃん
2005-2009年在籍 / みやっちゃん

楽しかった能開センター

元々兄が通っていて、ずっと興味があった能開センター。小学5年生からが入学対象だったため、しばらく入学できなかったものの、小学5年生になるとすぐに入学しました。 元々勉強は嫌いではなかったけれど、先生方の授業がすごく面白くて、毎週塾に行くのが本当に楽しみでした。勉強に行くというよりは、お笑いライブに行くような感覚に近かったです(笑)ただ、楽しみながらも着実に学力は身につけられていたようで、無事に第一志望の高校に合格することができました。 また、「高校合格がゴールではない!」と先生方はいつも仰っていて、その先の人生にも繋がる指導をして下さいました。おかげで、大学も就職も満足のいく結果になったと思っています。 先生方には本当に感謝しています。本当にありがとうございました。 WAO50周年、おめでとうございます!

能開センター 卒業生(チューター)
2007-2021年在籍 / M.S

私の原点

M.S

中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。

能開センター 卒業生(チューター)
M.S
2007-2021年在籍 / M.S

私の原点

中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。

能開センター 講師
1997-2000年在籍 / 井上 清二 

人生最高の師

井上 清二 

能開センターで過ごした青春時代は人生において宝物になりました。クラスの担当だった小谷先生には卒業後もさまざまな面でお世話になり、私の結婚式にも出席いただきました。感謝しきれません。素晴らしい先生と出会わせていただいた能開センターには家族全員感謝しております。

能開センター 講師
井上 清二 
1997-2000年在籍 / 井上 清二 

人生最高の師

能開センターで過ごした青春時代は人生において宝物になりました。クラスの担当だった小谷先生には卒業後もさまざまな面でお世話になり、私の結婚式にも出席いただきました。感謝しきれません。素晴らしい先生と出会わせていただいた能開センターには家族全員感謝しております。

能開センター 卒業生(チューター)
2005-2006年在籍 / 安田 麻衣

あったかい居場所でした!

安田 麻衣

高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!

能開センター 卒業生(チューター)
安田 麻衣
2005-2006年在籍 / 安田 麻衣

あったかい居場所でした!

高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!

能開センター 卒業生(チューター)
2008-2013年在籍 / 吉岡洸生

小学生の頃の課題図書の話

吉岡洸生

小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。

能開センター 卒業生(チューター)
吉岡洸生
2008-2013年在籍 / 吉岡洸生

小学生の頃の課題図書の話

小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。

学びと感動を皆さまと50年

これまでワオ・コーポレーションは
多様なブランドやサービスを通じて、
学びと感動のかたちを広げてきました。

積み重ねてきた経験や挑戦の一つひとつが
ワオ・コーポレーションの歴史となり
今日の姿を形づくっています。

Greetings

代表挨拶

代表取締役社長 池森英雄 代表取締役社長 池森英雄

教育を変える。自分を超える。
未来を創る。

ワオ・コーポレーションは、本年5月15日をもって創立50周年を迎えます。
この節目を迎えられたのは、これまで教育の現場に関わってくださったすべての皆さまのおかげです。心より御礼申し上げます。
学びの場に集ってくれた卒業生、現在通っていただいている会員の皆さま、そしてお子さまを私たちに託してくださった保護者の方々、ご家族の皆さま。多くの支えの上に、今のワオ・コーポレーションがあります。私たちは創立以来、合宿教育・人材教育を原点に、単なる受験対策にとどまらない「人生に役立つ教育とは何か」を問い続けてきました。知識や点数だけではなく、人としてどう生きるか、社会とどう向き合うかまでを考える。その姿勢こそが、私たちの存在意義です。
AIの進化をはじめ、社会が急速に変化する今、教育を変えることが求められています。私たちが送り出す子どもたち、そして大学生は、これからの日本社会を直接支えていく存在です。だからこそ、より良い人材を育て、より良い社会と未来をつくるために、本気で教育を変えていきます。
これからも叱咤激励をいただきながら、ともに日本の人材教育を前へ進めていければ幸いです。

代表取締役社長 池森英雄

  • 1976
  • 1978
  • 1986
  • 1988
  • 1996
  • 1999
  • 2000
  • 2003
  • 2006
  • 2016
  • 2017
  • 2026

History

50年のあゆみ

一人ひとりと向き合う現場から、
ワオ・コーポレーションの
歴史ははじまりました。

数えきれない挑戦と出会いに
支えられてきた50年の歩みを、
ここにご紹介します。

1976

創立

大阪市東区本町OSビルに
株式会社能力開発センターを設立
難波にて日曜ゼミとして難波校を開設

1976年 創立

1978

全国展開

六甲山頂での全社会議にて、
全国展開 日本一への挑戦を宣言
全国展開の第一歩として岡山本部開設

1978年 全国展開

1986

10周年

創立10周年 「チャレンジNEW10」を発表
総合教育機関を目指す企業としての決意
本社を大阪市東区城見ツイン21に移転

1986年 10周年

1988

株式を公開

卒業生のための「ゆとりある会」を開催
第一次コンピュータ情報処理システム稼動
東京・大阪両店頭市場に株式公開

1988年 株式を公開

1996

20周年

創立20周年「Will be 21」 を発表
全教室にヒロヤマガタ絵画を展示
大阪市北区にWAO第2ビル竣工

1996年 20周年

1999

事業拡大

AXIS (現個別指導Axis) 部門を開設
小学生のための英検・数検・漢検対応
「ジュニアライセンス・ コース」スタート

1999年 事業拡大

2000

エンタメ事業

商号を株式会社ワオ・コーポレーションに変更
(株) ワオワールド、 (株) ワオネットを設立
大学受験用DVD映像講義システムスタート

2000年 エンタメ事業

2003

「NITABOH」公開

ワオ・コーポレーション映画第1作
「NITABOH 仁太坊-津軽三味線始祖外聞」公開

2003年 「NITABOH」公開

2006

30周年

30周年記念映画劇場用アニメーション映画
第2作 「ふるさと-JAPAN」 完成
プライバシーマーク認証取得

2006年 30周年

2016

40周年

世界に羽ばたく活動を支援する奨励金
「ワオスカラーシップ」を設立

2016年 40周年

2017

全国47都道府県へ

全国47都道府県ネットワークを実現
世界を目指す高校生を支援する奨学金
「一般財団法人 西澤育英基金」を設立

2017年 全国47都道府県へ

2026

50周年

再創業宣言

2026年 50周年

To the Future

「再創業」宣言 
-未来への挑戦。

小さな教室から始まった私たちの挑戦は、
50年の時を経て、
次のステージへと進もうとしています。

人と向き合う教育の現場という
原点と現在を大切にしながら、
テクノロジーやAIを活用した開発を進め、
企業やさまざまなパートナーの皆さまと
知見を持ち寄り、
未来に必要とされる学びや手法を、
創り出していきます。

これからのワオ・コーポレーションに
どうぞご期待ください。

パートナー企業の皆さまとともに未来に向けた取り組み
を進めています。

NEW PROJECT

AI添削・総合型選抜対策 TotalPass
Coming Soon
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