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2026.02.27
企業CM 「感動が、未来をひらく!」特設ページを公開しました
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2026.02.27
企業CM 「感動が、未来をひらく!」特設ページを公開しました
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2026.02.01
ワオ・コーポレーションの50周年記念特設サイトを公開しました!
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2026.02.01
ワオ・コーポレーションの50周年記念特設サイトを公開しました!
Event
イベント案内
【全編AIで描く、新たな挑戦】企業CM 「感動が、未来をひらく!」
Netflixにてライブ及びオンデマンドで配信される「2026 ワールドベースボールクラシック」内で配信の弊社CMです。本作は映像・構成・編集のすべてにおいて生成AIを活用して制作しました。Netflixでは15秒版の配信ですが、本サイトでは30秒のフルバージョンをご覧いただけます。
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昭和平成名曲チャリティーコンサート
ワオ・コーポレーション創立50周年記念チャリティーコンサート。昭和・平成の名曲を実力派歌手がお届けする全国11会場の音楽イベント。参加費は全額子ども食堂へ寄付。世代を超えて楽しめるコンサートにぜひご参加ください。
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思い出エピソード
現役社員やスタッフ、OB・OGからワオ・コーポレーションで働く中で経験した、心に残るエピソードをご紹介します。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
生徒とともに歩んだ時間
小学生の頃から通い続け、高校卒業まで成長を見守った生徒がいます。 その後、指導者としてこの場所に戻ってきてくれたときは、言葉にできないほど嬉しく、この仕事のやりがいを改めて実感した瞬間でした。 また、在籍期間は決して長くはなかったものの、進路に悩みながらも、勉強のことだけでなく学校生活や将来について、いろいろな話をしてくれた生徒もいました。 その一つひとつの言葉から、葛藤や前向きな気持ちが伝わってきたことが、今でも印象に残っています。 こうして振り返ると、これまで出会ってきた生徒一人ひとりの成長を近くで見守ることができたことは、私にとってかけがえのない財産です。 そして、そのような経験を積ませてくれたこの環境や会社に、心から感謝しています。 これからも、生徒それぞれの歩みに寄り添いながら、小さな変化や成長を大切にし、一人ひとりと真摯に向き合っていきたいと思います。
生徒とともに歩んだ時間
小学生の頃から通い続け、高校卒業まで成長を見守った生徒がいます。 その後、指導者としてこの場所に戻ってきてくれたときは、言葉にできないほど嬉しく、この仕事のやりがいを改めて実感した瞬間でした。 また、在籍期間は決して長くはなかったものの、進路に悩みながらも、勉強のことだけでなく学校生活や将来について、いろいろな話をしてくれた生徒もいました。 その一つひとつの言葉から、葛藤や前向きな気持ちが伝わってきたことが、今でも印象に残っています。 こうして振り返ると、これまで出会ってきた生徒一人ひとりの成長を近くで見守ることができたことは、私にとってかけがえのない財産です。 そして、そのような経験を積ませてくれたこの環境や会社に、心から感謝しています。 これからも、生徒それぞれの歩みに寄り添いながら、小さな変化や成長を大切にし、一人ひとりと真摯に向き合っていきたいと思います。
出会い、学びの場
ある日、突然見知らぬお二人が「●●先生とという方はおいでですか?」と私を尋ねてこられました。 話を聞くと、TさんとHくんという、私が中3時に担当をした2人が晴れて結婚をすることになったとのこと。 その2人が「僕たちの出会いは能開センターという塾だった」「その塾で●●先生にすごくお世話になった」「能開はすごく楽しかった」と話をしているらしく、それを聞いたお二人が披露宴でサプライズの「ビデオレター」を届けたい、と尋ねてくれたのです。 TさんとHくんのことは私もよく覚えており、驚くとともにっても幸せな気持ちになったことを、今も覚えています。 ビデオレターの撮影の件は、もちろん引き受けさせてもらいました。 後日、TさんとHくんがビデオレターのお礼と、そろって校舎に来てくれて昔話に花が咲きました。 卒業後、何年も経っているのに「お世話になった方」として覚えてもらえていること、そして結婚の報告をわざわざしてもらえたことは本当にうれしかったです。 能開センターは学びの場です。そして同時に出会いの場です。 その出会いが、子ども達の人生に大きな影響を与えることは少なくありません。 私たちの存在が、他人の人生に少しでも影響を与えられるとするならば、こんな素敵な仕事はないのではないでしょうか? これからも子ども達にとって、出会い、学び、成長する能開センターでありたいと思います。
出会い、学びの場
ある日、突然見知らぬお二人が「●●先生とという方はおいでですか?」と私を尋ねてこられました。 話を聞くと、TさんとHくんという、私が中3時に担当をした2人が晴れて結婚をすることになったとのこと。 その2人が「僕たちの出会いは能開センターという塾だった」「その塾で●●先生にすごくお世話になった」「能開はすごく楽しかった」と話をしているらしく、それを聞いたお二人が披露宴でサプライズの「ビデオレター」を届けたい、と尋ねてくれたのです。 TさんとHくんのことは私もよく覚えており、驚くとともにっても幸せな気持ちになったことを、今も覚えています。 ビデオレターの撮影の件は、もちろん引き受けさせてもらいました。 後日、TさんとHくんがビデオレターのお礼と、そろって校舎に来てくれて昔話に花が咲きました。 卒業後、何年も経っているのに「お世話になった方」として覚えてもらえていること、そして結婚の報告をわざわざしてもらえたことは本当にうれしかったです。 能開センターは学びの場です。そして同時に出会いの場です。 その出会いが、子ども達の人生に大きな影響を与えることは少なくありません。 私たちの存在が、他人の人生に少しでも影響を与えられるとするならば、こんな素敵な仕事はないのではないでしょうか? これからも子ども達にとって、出会い、学び、成長する能開センターでありたいと思います。
チームでの目標達成
学習塾にとって4月の生徒数は、営業的にも教育的にも大きな意味を持つ数値です。新たに入会してくれた一人ひとりの子どもたちの未来に、私たちが関わることができる——その重みを胸に、毎年4月の目標に向き合っています。当時、大阪南部の校舎責任者だった私は、日報に「校舎目標まであと○名」と書き始めたのがきっかけでした。ある時ふと思い立って「南エリアであと○名」とエリア全体のカウントダウンに切り替えてみたところ、その日報にメンバーたちが次々と反応してくれたのです。「今、1名入会した!」「あと少し!」とやり取りが広がり、見事にエリア全体で目標を達成することができました。その数字の一つひとつが、これから学びをスタートする子どもたちの存在だと思うと、達成の喜びはひとしおでした。普段は校舎に一人で業務している中では決して味わえない一体感と高揚感——あの時の感動は、今も鮮明に覚えています。それから数年が経ち、カウントダウンはいつしか恒例の文化となりました。そして3年前、本部所属として校舎を持たない立場になった私は、一人のスタッフにカウントダウン担当をお願いしました。その方を中心に、県全体のメンバーが一つの目標に向かって動いている姿を目にした時、また違う種類の感動がありました。小さなきっかけから生まれた習慣が文化として根付き、次の世代へと受け継がれていく——そしてその先には、より多くの子どもたちの成長に寄り添える環境が広がっている。その光景に、チームで仕事をすることの喜びと意味を、改めて深く実感しました。 校舎で一人黙々と業務をこなす日々の中で、皆と同じ目標を追い、共に喜べる瞬間がある。数字の向こう側にいる子どもたちのために、これからもチームで力を合わせていきたいと思っています。
チームでの目標達成
学習塾にとって4月の生徒数は、営業的にも教育的にも大きな意味を持つ数値です。新たに入会してくれた一人ひとりの子どもたちの未来に、私たちが関わることができる——その重みを胸に、毎年4月の目標に向き合っています。当時、大阪南部の校舎責任者だった私は、日報に「校舎目標まであと○名」と書き始めたのがきっかけでした。ある時ふと思い立って「南エリアであと○名」とエリア全体のカウントダウンに切り替えてみたところ、その日報にメンバーたちが次々と反応してくれたのです。「今、1名入会した!」「あと少し!」とやり取りが広がり、見事にエリア全体で目標を達成することができました。その数字の一つひとつが、これから学びをスタートする子どもたちの存在だと思うと、達成の喜びはひとしおでした。普段は校舎に一人で業務している中では決して味わえない一体感と高揚感——あの時の感動は、今も鮮明に覚えています。それから数年が経ち、カウントダウンはいつしか恒例の文化となりました。そして3年前、本部所属として校舎を持たない立場になった私は、一人のスタッフにカウントダウン担当をお願いしました。その方を中心に、県全体のメンバーが一つの目標に向かって動いている姿を目にした時、また違う種類の感動がありました。小さなきっかけから生まれた習慣が文化として根付き、次の世代へと受け継がれていく——そしてその先には、より多くの子どもたちの成長に寄り添える環境が広がっている。その光景に、チームで仕事をすることの喜びと意味を、改めて深く実感しました。 校舎で一人黙々と業務をこなす日々の中で、皆と同じ目標を追い、共に喜べる瞬間がある。数字の向こう側にいる子どもたちのために、これからもチームで力を合わせていきたいと思っています。
号泣の生徒への最後のアドバイス
沖縄への転勤が決まった2011年の国立大学前期の合格発表、佐賀大学医学部医学科を志望していた生徒が不合格で目の前で号泣。後期も同大学の同じ学科を受験すると言う。試験は面接だけ。最後のアドバイスは「女優になれ」。募集要項には佐賀大学医学部医学科の求める人物像が書いてあったので、その通りの人物を演じるようにアドバイス。沖縄の首里校へ赴任した後、三日月校の後任の校責T先生から電話。例の生徒が合格したので本人が話したいと来校しているとのこと。電話でおめでとうとお祝いの言葉をかけ、ご自宅の保護者にもお祝いの電話。その後島根に転勤になり、彼女が出雲大社へ旅行に来たついでに学園通り校に遊びに来てくれた。どこにいても心のつながりが感じられるエピソード。
号泣の生徒への最後のアドバイス
沖縄への転勤が決まった2011年の国立大学前期の合格発表、佐賀大学医学部医学科を志望していた生徒が不合格で目の前で号泣。後期も同大学の同じ学科を受験すると言う。試験は面接だけ。最後のアドバイスは「女優になれ」。募集要項には佐賀大学医学部医学科の求める人物像が書いてあったので、その通りの人物を演じるようにアドバイス。沖縄の首里校へ赴任した後、三日月校の後任の校責T先生から電話。例の生徒が合格したので本人が話したいと来校しているとのこと。電話でおめでとうとお祝いの言葉をかけ、ご自宅の保護者にもお祝いの電話。その後島根に転勤になり、彼女が出雲大社へ旅行に来たついでに学園通り校に遊びに来てくれた。どこにいても心のつながりが感じられるエピソード。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
生徒とともに歩んだ時間
小学生の頃から通い続け、高校卒業まで成長を見守った生徒がいます。 その後、指導者としてこの場所に戻ってきてくれたときは、言葉にできないほど嬉しく、この仕事のやりがいを改めて実感した瞬間でした。 また、在籍期間は決して長くはなかったものの、進路に悩みながらも、勉強のことだけでなく学校生活や将来について、いろいろな話をしてくれた生徒もいました。 その一つひとつの言葉から、葛藤や前向きな気持ちが伝わってきたことが、今でも印象に残っています。 こうして振り返ると、これまで出会ってきた生徒一人ひとりの成長を近くで見守ることができたことは、私にとってかけがえのない財産です。 そして、そのような経験を積ませてくれたこの環境や会社に、心から感謝しています。 これからも、生徒それぞれの歩みに寄り添いながら、小さな変化や成長を大切にし、一人ひとりと真摯に向き合っていきたいと思います。
生徒とともに歩んだ時間
小学生の頃から通い続け、高校卒業まで成長を見守った生徒がいます。 その後、指導者としてこの場所に戻ってきてくれたときは、言葉にできないほど嬉しく、この仕事のやりがいを改めて実感した瞬間でした。 また、在籍期間は決して長くはなかったものの、進路に悩みながらも、勉強のことだけでなく学校生活や将来について、いろいろな話をしてくれた生徒もいました。 その一つひとつの言葉から、葛藤や前向きな気持ちが伝わってきたことが、今でも印象に残っています。 こうして振り返ると、これまで出会ってきた生徒一人ひとりの成長を近くで見守ることができたことは、私にとってかけがえのない財産です。 そして、そのような経験を積ませてくれたこの環境や会社に、心から感謝しています。 これからも、生徒それぞれの歩みに寄り添いながら、小さな変化や成長を大切にし、一人ひとりと真摯に向き合っていきたいと思います。
出会い、学びの場
ある日、突然見知らぬお二人が「●●先生とという方はおいでですか?」と私を尋ねてこられました。 話を聞くと、TさんとHくんという、私が中3時に担当をした2人が晴れて結婚をすることになったとのこと。 その2人が「僕たちの出会いは能開センターという塾だった」「その塾で●●先生にすごくお世話になった」「能開はすごく楽しかった」と話をしているらしく、それを聞いたお二人が披露宴でサプライズの「ビデオレター」を届けたい、と尋ねてくれたのです。 TさんとHくんのことは私もよく覚えており、驚くとともにっても幸せな気持ちになったことを、今も覚えています。 ビデオレターの撮影の件は、もちろん引き受けさせてもらいました。 後日、TさんとHくんがビデオレターのお礼と、そろって校舎に来てくれて昔話に花が咲きました。 卒業後、何年も経っているのに「お世話になった方」として覚えてもらえていること、そして結婚の報告をわざわざしてもらえたことは本当にうれしかったです。 能開センターは学びの場です。そして同時に出会いの場です。 その出会いが、子ども達の人生に大きな影響を与えることは少なくありません。 私たちの存在が、他人の人生に少しでも影響を与えられるとするならば、こんな素敵な仕事はないのではないでしょうか? これからも子ども達にとって、出会い、学び、成長する能開センターでありたいと思います。
出会い、学びの場
ある日、突然見知らぬお二人が「●●先生とという方はおいでですか?」と私を尋ねてこられました。 話を聞くと、TさんとHくんという、私が中3時に担当をした2人が晴れて結婚をすることになったとのこと。 その2人が「僕たちの出会いは能開センターという塾だった」「その塾で●●先生にすごくお世話になった」「能開はすごく楽しかった」と話をしているらしく、それを聞いたお二人が披露宴でサプライズの「ビデオレター」を届けたい、と尋ねてくれたのです。 TさんとHくんのことは私もよく覚えており、驚くとともにっても幸せな気持ちになったことを、今も覚えています。 ビデオレターの撮影の件は、もちろん引き受けさせてもらいました。 後日、TさんとHくんがビデオレターのお礼と、そろって校舎に来てくれて昔話に花が咲きました。 卒業後、何年も経っているのに「お世話になった方」として覚えてもらえていること、そして結婚の報告をわざわざしてもらえたことは本当にうれしかったです。 能開センターは学びの場です。そして同時に出会いの場です。 その出会いが、子ども達の人生に大きな影響を与えることは少なくありません。 私たちの存在が、他人の人生に少しでも影響を与えられるとするならば、こんな素敵な仕事はないのではないでしょうか? これからも子ども達にとって、出会い、学び、成長する能開センターでありたいと思います。
チームでの目標達成
学習塾にとって4月の生徒数は、営業的にも教育的にも大きな意味を持つ数値です。新たに入会してくれた一人ひとりの子どもたちの未来に、私たちが関わることができる——その重みを胸に、毎年4月の目標に向き合っています。当時、大阪南部の校舎責任者だった私は、日報に「校舎目標まであと○名」と書き始めたのがきっかけでした。ある時ふと思い立って「南エリアであと○名」とエリア全体のカウントダウンに切り替えてみたところ、その日報にメンバーたちが次々と反応してくれたのです。「今、1名入会した!」「あと少し!」とやり取りが広がり、見事にエリア全体で目標を達成することができました。その数字の一つひとつが、これから学びをスタートする子どもたちの存在だと思うと、達成の喜びはひとしおでした。普段は校舎に一人で業務している中では決して味わえない一体感と高揚感——あの時の感動は、今も鮮明に覚えています。それから数年が経ち、カウントダウンはいつしか恒例の文化となりました。そして3年前、本部所属として校舎を持たない立場になった私は、一人のスタッフにカウントダウン担当をお願いしました。その方を中心に、県全体のメンバーが一つの目標に向かって動いている姿を目にした時、また違う種類の感動がありました。小さなきっかけから生まれた習慣が文化として根付き、次の世代へと受け継がれていく——そしてその先には、より多くの子どもたちの成長に寄り添える環境が広がっている。その光景に、チームで仕事をすることの喜びと意味を、改めて深く実感しました。 校舎で一人黙々と業務をこなす日々の中で、皆と同じ目標を追い、共に喜べる瞬間がある。数字の向こう側にいる子どもたちのために、これからもチームで力を合わせていきたいと思っています。
チームでの目標達成
学習塾にとって4月の生徒数は、営業的にも教育的にも大きな意味を持つ数値です。新たに入会してくれた一人ひとりの子どもたちの未来に、私たちが関わることができる——その重みを胸に、毎年4月の目標に向き合っています。当時、大阪南部の校舎責任者だった私は、日報に「校舎目標まであと○名」と書き始めたのがきっかけでした。ある時ふと思い立って「南エリアであと○名」とエリア全体のカウントダウンに切り替えてみたところ、その日報にメンバーたちが次々と反応してくれたのです。「今、1名入会した!」「あと少し!」とやり取りが広がり、見事にエリア全体で目標を達成することができました。その数字の一つひとつが、これから学びをスタートする子どもたちの存在だと思うと、達成の喜びはひとしおでした。普段は校舎に一人で業務している中では決して味わえない一体感と高揚感——あの時の感動は、今も鮮明に覚えています。それから数年が経ち、カウントダウンはいつしか恒例の文化となりました。そして3年前、本部所属として校舎を持たない立場になった私は、一人のスタッフにカウントダウン担当をお願いしました。その方を中心に、県全体のメンバーが一つの目標に向かって動いている姿を目にした時、また違う種類の感動がありました。小さなきっかけから生まれた習慣が文化として根付き、次の世代へと受け継がれていく——そしてその先には、より多くの子どもたちの成長に寄り添える環境が広がっている。その光景に、チームで仕事をすることの喜びと意味を、改めて深く実感しました。 校舎で一人黙々と業務をこなす日々の中で、皆と同じ目標を追い、共に喜べる瞬間がある。数字の向こう側にいる子どもたちのために、これからもチームで力を合わせていきたいと思っています。
号泣の生徒への最後のアドバイス
沖縄への転勤が決まった2011年の国立大学前期の合格発表、佐賀大学医学部医学科を志望していた生徒が不合格で目の前で号泣。後期も同大学の同じ学科を受験すると言う。試験は面接だけ。最後のアドバイスは「女優になれ」。募集要項には佐賀大学医学部医学科の求める人物像が書いてあったので、その通りの人物を演じるようにアドバイス。沖縄の首里校へ赴任した後、三日月校の後任の校責T先生から電話。例の生徒が合格したので本人が話したいと来校しているとのこと。電話でおめでとうとお祝いの言葉をかけ、ご自宅の保護者にもお祝いの電話。その後島根に転勤になり、彼女が出雲大社へ旅行に来たついでに学園通り校に遊びに来てくれた。どこにいても心のつながりが感じられるエピソード。
号泣の生徒への最後のアドバイス
沖縄への転勤が決まった2011年の国立大学前期の合格発表、佐賀大学医学部医学科を志望していた生徒が不合格で目の前で号泣。後期も同大学の同じ学科を受験すると言う。試験は面接だけ。最後のアドバイスは「女優になれ」。募集要項には佐賀大学医学部医学科の求める人物像が書いてあったので、その通りの人物を演じるようにアドバイス。沖縄の首里校へ赴任した後、三日月校の後任の校責T先生から電話。例の生徒が合格したので本人が話したいと来校しているとのこと。電話でおめでとうとお祝いの言葉をかけ、ご自宅の保護者にもお祝いの電話。その後島根に転勤になり、彼女が出雲大社へ旅行に来たついでに学園通り校に遊びに来てくれた。どこにいても心のつながりが感じられるエピソード。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
Greetings
代表挨拶
教育を変える。自分を超える。
未来を創る。
ワオ・コーポレーションは、本年5月15日をもって創立50周年を迎えます。
この節目を迎えられたのは、これまで教育の現場に関わってくださったすべての皆さまのおかげです。心より御礼申し上げます。
学びの場に集ってくれた卒業生、現在通っていただいている会員の皆さま、そしてお子さまを私たちに託してくださった保護者の方々、ご家族の皆さま。多くの支えの上に、今のワオ・コーポレーションがあります。私たちは創立以来、合宿教育・人材教育を原点に、単なる受験対策にとどまらない「人生に役立つ教育とは何か」を問い続けてきました。知識や点数だけではなく、人としてどう生きるか、社会とどう向き合うかまでを考える。その姿勢こそが、私たちの存在意義です。
AIの進化をはじめ、社会が急速に変化する今、教育を変えることが求められています。私たちが送り出す子どもたち、そして大学生は、これからの日本社会を直接支えていく存在です。だからこそ、より良い人材を育て、より良い社会と未来をつくるために、本気で教育を変えていきます。
これからも叱咤激励をいただきながら、ともに日本の人材教育を前へ進めていければ幸いです。
代表取締役社長 池森英雄