私がまだ派遣社員として映像部にいたころの話です。
中学受験合宿の撮影スタッフとして合宿に参加させてもらうことになり、正直、なかなか大変なスケジュールでの撮影だったのですが、能開の「厳しさ、熱気、大笑い」を体感することができました。
生徒と一緒に泣き、笑う先生の姿を見て、これが能開の授業なのか、と感じたのを覚えています。
今、社員になって4年目となります。新規事業のオンライン教育サービスに携わっていますが、この能開の「厳しさ、熱気、大笑い」のマインドを受け継いだサービスにしていきたいと思っています。
その他のエピソード
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
不合格にさせてしまった中3受験生
私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと
創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。 私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。 また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。 その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。 私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。
善き未来へ向けて
この度は創立50周年おめでとうございます。私は小学5年生で生徒として入塾し高校受験、大学受験の生徒として、そして大学以降はチューターとして大学院卒業までお世話になりました。思えば人生の14年間という非常に長い時間を能開センターに関わらせていただきました。仲間たちと切磋琢磨し夢に向かって勉学に励んだ生徒時代、そんな子どもたちを支えるお手伝いをしたチューター時代、能開センターで過ごした時間は私にとってかけがえのない時間でした。 明るい未来を作るのはいつだって若い子どもたちだと思っています。これからも、未来へ感動の輪を広げ善き未来を作るために、子どもたちの夢を叶えるサポートを続けていただけることを願っております。ワオ・コーポレーションの益々のご発展をお祈り申し上げます。