思い出エピソード 思い出エピソード
能開センター 指導者
1984-1988年在籍 / 中瀬古 佳史 大阪/難波校

#先輩・後輩・同僚との“あの日の記憶”

学ぶ側から教える側へ ― 能開センターで学んだこと

中瀬古 佳史

創立50周年を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。

私は親戚の紹介をきっかけに、小学4年生より能開センターにお世話になりました。当初は軽い気持ちで通い始めましたが、個性豊かな先生方による面白く、かつ知的好奇心を刺激する授業に、次第に惹かれていきました。難問を解けずに悔し涙を流したこともありましたが、いつしか全身が学ぶことの楽しさに満ち溢れていました。

また、学習指導のみならず、あいさつの大切さや挑戦する姿勢など、人生を歩むうえで必要不可欠なことを教えていただきました。「会員五訓」は、現在に至るまで私の行動指針の一つとなっています。

その後、講師としても5年間勤務する機会をいただきました。先輩の先生方からは、授業力はもとより、教育に向き合う姿勢や人との関わり方など、幅広いご指導を賜り、私自身の人生観を大きく広げていただきました。この経験を通して、生徒の学びへの興味・関心を高めることへの探究心が一層深まり、現在は同志社香里中学校・高等学校において、数学教育を通じて日々研鑽を重ねております。

私の人生に多大な影響を与えてくださった能開センターが、今後ますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

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その他のエピソード

個別指導Axis 校責任者
2020-在籍中 / 森 洋紀 大阪府/熊取校

不合格にさせてしまった中3受験生

森 洋紀

私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。

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個別指導Axis 校責任者
森 洋紀
2020-在籍中 / 森 洋紀 大阪府/熊取校

不合格にさせてしまった中3受験生

私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。

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本社 映像
2006-在籍中 / U

喜びの共有

U

校責をしていた頃、受験に関わることのやりがいとして、生徒の人生の一部に影響を与えることができ、合格の喜びを生徒・スタッフと一緒に分かち合えることが挙げられます。 子どもたちの成績が上がった時、成長を感じられた時、行動が変わった時、困難を乗り越えた時にひとときの達成感があり、これを継続したいという想いに駆られます。 職種はどれでも、人財育成、成績向上、地域貢献に役立てる存在でありたい。今後もワオみんなで協力しながら盛り上げていきましょう!

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本社 映像
U
2006-在籍中 / U

喜びの共有

校責をしていた頃、受験に関わることのやりがいとして、生徒の人生の一部に影響を与えることができ、合格の喜びを生徒・スタッフと一緒に分かち合えることが挙げられます。 子どもたちの成績が上がった時、成長を感じられた時、行動が変わった時、困難を乗り越えた時にひとときの達成感があり、これを継続したいという想いに駆られます。 職種はどれでも、人財育成、成績向上、地域貢献に役立てる存在でありたい。今後もワオみんなで協力しながら盛り上げていきましょう!

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本社 Web/SNS
2018-在籍中 / S.M

厳しさ、熱気、大笑い

S.M

私がまだ派遣社員として映像部にいたころの話です。 中学受験合宿の撮影スタッフとして合宿に参加させてもらうことになり、正直、なかなか大変なスケジュールでの撮影だったのですが、能開の「厳しさ、熱気、大笑い」を体感することができました。 生徒と一緒に泣き、笑う先生の姿を見て、これが能開の授業なのか、と感じたのを覚えています。 今、社員になって4年目となります。新規事業のオンライン教育サービスに携わっていますが、この能開の「厳しさ、熱気、大笑い」のマインドを受け継いだサービスにしていきたいと思っています。

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本社 Web/SNS
S.M
2018-在籍中 / S.M

厳しさ、熱気、大笑い

私がまだ派遣社員として映像部にいたころの話です。 中学受験合宿の撮影スタッフとして合宿に参加させてもらうことになり、正直、なかなか大変なスケジュールでの撮影だったのですが、能開の「厳しさ、熱気、大笑い」を体感することができました。 生徒と一緒に泣き、笑う先生の姿を見て、これが能開の授業なのか、と感じたのを覚えています。 今、社員になって4年目となります。新規事業のオンライン教育サービスに携わっていますが、この能開の「厳しさ、熱気、大笑い」のマインドを受け継いだサービスにしていきたいと思っています。

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能開センター 担任/高校受験
1997-在籍中 / やな氏 栃木県/宇都宮校

学校≦能開

やな氏

能開センターで初めて担任を持った時の話です。 集合形式で教えた経験がほとんどない状況で、いきなり中学3年生、しかもトップ高校を目指すクラスを任されました。教科的な予習はもちろん、ホームルームでの話題を考えたり、板書計画を練ることなどにも時間がかかり、何だか大変な仕事に就いてしまったと、若干、後悔するような気持ちにもなっていました。生徒も、経験が浅い私に対して、反抗とまではいかないにしても、かなり牽制していたのではないかと思います。それでも、とにかく志望高校に受からせてあげたいという気持ちで、毎週、自分なりに一生懸命に授業を続けていました。 夏になり、講習会では25日間もの間、毎日毎日授業をし面談もしたことで、生徒との距離感が一気に縮まり、少しは頼られる先生になれたかもしれないという実感が湧いてきました。 その後、クラスのみんな一つになって、春の受験まで突っ走りました。みんなの進学先も決まり、中学3年生としてのクラスは解散。少し寂しい気持ちで4月を迎えた中、そのクラスの生徒数名が訪ねてきました。 送り出してからまだ半月も経っていないので、何があったのか見当もつかない心持でいると、分厚い1冊のノートを手渡されました。表紙にはクラス日誌とあり、中を見ると9月から3月まで、毎回の私の授業について、感想やダメ出し、その日のネクタイの柄やホームルームで話したことなどが記載されていていました。私に見つからないよう、私が授業で教えた日には必ず書いていたと言われ、とてつもなく感動しました。一部の生徒だけでやっていた、ではなく、24名のクラス全員が、回しながらずっと付けてくれていたことが、本当に嬉しく、この日誌は最高の財産となっています。この日誌を受け取り、能開生ってこんなに素晴らしいんだ。能開って「学校≦能開」になれる場所なんだ。そう思わせてくれた出来事でした。

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能開センター 担任/高校受験
やな氏
1997-在籍中 / やな氏 栃木県/宇都宮校

学校≦能開

能開センターで初めて担任を持った時の話です。 集合形式で教えた経験がほとんどない状況で、いきなり中学3年生、しかもトップ高校を目指すクラスを任されました。教科的な予習はもちろん、ホームルームでの話題を考えたり、板書計画を練ることなどにも時間がかかり、何だか大変な仕事に就いてしまったと、若干、後悔するような気持ちにもなっていました。生徒も、経験が浅い私に対して、反抗とまではいかないにしても、かなり牽制していたのではないかと思います。それでも、とにかく志望高校に受からせてあげたいという気持ちで、毎週、自分なりに一生懸命に授業を続けていました。 夏になり、講習会では25日間もの間、毎日毎日授業をし面談もしたことで、生徒との距離感が一気に縮まり、少しは頼られる先生になれたかもしれないという実感が湧いてきました。 その後、クラスのみんな一つになって、春の受験まで突っ走りました。みんなの進学先も決まり、中学3年生としてのクラスは解散。少し寂しい気持ちで4月を迎えた中、そのクラスの生徒数名が訪ねてきました。 送り出してからまだ半月も経っていないので、何があったのか見当もつかない心持でいると、分厚い1冊のノートを手渡されました。表紙にはクラス日誌とあり、中を見ると9月から3月まで、毎回の私の授業について、感想やダメ出し、その日のネクタイの柄やホームルームで話したことなどが記載されていていました。私に見つからないよう、私が授業で教えた日には必ず書いていたと言われ、とてつもなく感動しました。一部の生徒だけでやっていた、ではなく、24名のクラス全員が、回しながらずっと付けてくれていたことが、本当に嬉しく、この日誌は最高の財産となっています。この日誌を受け取り、能開生ってこんなに素晴らしいんだ。能開って「学校≦能開」になれる場所なんだ。そう思わせてくれた出来事でした。

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個別指導Axis 校責任者
2020-在籍中 / 森 洋紀 大阪府/熊取校

不合格にさせてしまった中3受験生

森 洋紀

私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。

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個別指導Axis 校責任者
森 洋紀
2020-在籍中 / 森 洋紀 大阪府/熊取校

不合格にさせてしまった中3受験生

私がワオに入社し、最初の配属先がAxis貝塚校だったときの話です。 当時、私は校担当として配属されました。貝塚校は在籍が100名を超える校舎だったので、校舎責任者の方と私とで、担当する生徒を割り当てて運営をしておりました。 私の担当学年には中3が含まれており、受験に向けて進路指導をしていくことになりました。すでに他の会社で高校受験指導をした経験があったので、そこまで困ることは少なかったのですが、Axisの商品と組み合わせること、講習で勉強時間を追加することなど不慣れな部分は多かったと思います。それでも、生徒本人・保護者としっかりと話をして最適な学習を提案していくことができました。夏期講習、冬期講習、入試直前特訓を経て、あっという間に受験の時期になったことを今でも覚えております。 夏期講習あたりから、中3受験生たちが塾に来ることが多くなり、自然と関係性が出来上がっていきました。直接教科内容の指導をしたことも今となればいい思い出です。不安な気持ちを吐露する生徒を後押ししたりしながら公立高校入試の日を迎えました。直前の応援電話でも前向きな言葉を投げかけました。しかし、2人の生徒が不合格になってしまったのです。 あの時の申し訳ない気持ちは忘れることができません。私がもう少しAxisで経験を積んでいたら、という後悔の念が残りました。その後、不合格だった2人は私立高校に行き、高校継続にならず、ご縁がなくなってしまいました。 1年の経験を経て、貝塚での2年目を迎えた5月のある日、とある私立高校から封書が届いたのです。中身はお世話になった塾への手紙でした。進学先の私立高校で書いたものだったようですが、不合格になった生徒2人のうち1人のものでした。塾で鍛えらえた、最後まで励みになった、など有難い言葉がたくさん並んでいました。進学先の高校で頑張っていることが確認でき、ほんの少し、後悔の気持ちが弱まった瞬間でした。

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本社 映像
2006-在籍中 / U

喜びの共有

U

校責をしていた頃、受験に関わることのやりがいとして、生徒の人生の一部に影響を与えることができ、合格の喜びを生徒・スタッフと一緒に分かち合えることが挙げられます。 子どもたちの成績が上がった時、成長を感じられた時、行動が変わった時、困難を乗り越えた時にひとときの達成感があり、これを継続したいという想いに駆られます。 職種はどれでも、人財育成、成績向上、地域貢献に役立てる存在でありたい。今後もワオみんなで協力しながら盛り上げていきましょう!

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本社 映像
U
2006-在籍中 / U

喜びの共有

校責をしていた頃、受験に関わることのやりがいとして、生徒の人生の一部に影響を与えることができ、合格の喜びを生徒・スタッフと一緒に分かち合えることが挙げられます。 子どもたちの成績が上がった時、成長を感じられた時、行動が変わった時、困難を乗り越えた時にひとときの達成感があり、これを継続したいという想いに駆られます。 職種はどれでも、人財育成、成績向上、地域貢献に役立てる存在でありたい。今後もワオみんなで協力しながら盛り上げていきましょう!

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本社 Web/SNS
2018-在籍中 / S.M

厳しさ、熱気、大笑い

S.M

私がまだ派遣社員として映像部にいたころの話です。 中学受験合宿の撮影スタッフとして合宿に参加させてもらうことになり、正直、なかなか大変なスケジュールでの撮影だったのですが、能開の「厳しさ、熱気、大笑い」を体感することができました。 生徒と一緒に泣き、笑う先生の姿を見て、これが能開の授業なのか、と感じたのを覚えています。 今、社員になって4年目となります。新規事業のオンライン教育サービスに携わっていますが、この能開の「厳しさ、熱気、大笑い」のマインドを受け継いだサービスにしていきたいと思っています。

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S.M
2018-在籍中 / S.M

厳しさ、熱気、大笑い

私がまだ派遣社員として映像部にいたころの話です。 中学受験合宿の撮影スタッフとして合宿に参加させてもらうことになり、正直、なかなか大変なスケジュールでの撮影だったのですが、能開の「厳しさ、熱気、大笑い」を体感することができました。 生徒と一緒に泣き、笑う先生の姿を見て、これが能開の授業なのか、と感じたのを覚えています。 今、社員になって4年目となります。新規事業のオンライン教育サービスに携わっていますが、この能開の「厳しさ、熱気、大笑い」のマインドを受け継いだサービスにしていきたいと思っています。

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能開センター 担任/高校受験
1997-在籍中 / やな氏 栃木県/宇都宮校

学校≦能開

やな氏

能開センターで初めて担任を持った時の話です。 集合形式で教えた経験がほとんどない状況で、いきなり中学3年生、しかもトップ高校を目指すクラスを任されました。教科的な予習はもちろん、ホームルームでの話題を考えたり、板書計画を練ることなどにも時間がかかり、何だか大変な仕事に就いてしまったと、若干、後悔するような気持ちにもなっていました。生徒も、経験が浅い私に対して、反抗とまではいかないにしても、かなり牽制していたのではないかと思います。それでも、とにかく志望高校に受からせてあげたいという気持ちで、毎週、自分なりに一生懸命に授業を続けていました。 夏になり、講習会では25日間もの間、毎日毎日授業をし面談もしたことで、生徒との距離感が一気に縮まり、少しは頼られる先生になれたかもしれないという実感が湧いてきました。 その後、クラスのみんな一つになって、春の受験まで突っ走りました。みんなの進学先も決まり、中学3年生としてのクラスは解散。少し寂しい気持ちで4月を迎えた中、そのクラスの生徒数名が訪ねてきました。 送り出してからまだ半月も経っていないので、何があったのか見当もつかない心持でいると、分厚い1冊のノートを手渡されました。表紙にはクラス日誌とあり、中を見ると9月から3月まで、毎回の私の授業について、感想やダメ出し、その日のネクタイの柄やホームルームで話したことなどが記載されていていました。私に見つからないよう、私が授業で教えた日には必ず書いていたと言われ、とてつもなく感動しました。一部の生徒だけでやっていた、ではなく、24名のクラス全員が、回しながらずっと付けてくれていたことが、本当に嬉しく、この日誌は最高の財産となっています。この日誌を受け取り、能開生ってこんなに素晴らしいんだ。能開って「学校≦能開」になれる場所なんだ。そう思わせてくれた出来事でした。

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能開センター 担任/高校受験
やな氏
1997-在籍中 / やな氏 栃木県/宇都宮校

学校≦能開

能開センターで初めて担任を持った時の話です。 集合形式で教えた経験がほとんどない状況で、いきなり中学3年生、しかもトップ高校を目指すクラスを任されました。教科的な予習はもちろん、ホームルームでの話題を考えたり、板書計画を練ることなどにも時間がかかり、何だか大変な仕事に就いてしまったと、若干、後悔するような気持ちにもなっていました。生徒も、経験が浅い私に対して、反抗とまではいかないにしても、かなり牽制していたのではないかと思います。それでも、とにかく志望高校に受からせてあげたいという気持ちで、毎週、自分なりに一生懸命に授業を続けていました。 夏になり、講習会では25日間もの間、毎日毎日授業をし面談もしたことで、生徒との距離感が一気に縮まり、少しは頼られる先生になれたかもしれないという実感が湧いてきました。 その後、クラスのみんな一つになって、春の受験まで突っ走りました。みんなの進学先も決まり、中学3年生としてのクラスは解散。少し寂しい気持ちで4月を迎えた中、そのクラスの生徒数名が訪ねてきました。 送り出してからまだ半月も経っていないので、何があったのか見当もつかない心持でいると、分厚い1冊のノートを手渡されました。表紙にはクラス日誌とあり、中を見ると9月から3月まで、毎回の私の授業について、感想やダメ出し、その日のネクタイの柄やホームルームで話したことなどが記載されていていました。私に見つからないよう、私が授業で教えた日には必ず書いていたと言われ、とてつもなく感動しました。一部の生徒だけでやっていた、ではなく、24名のクラス全員が、回しながらずっと付けてくれていたことが、本当に嬉しく、この日誌は最高の財産となっています。この日誌を受け取り、能開生ってこんなに素晴らしいんだ。能開って「学校≦能開」になれる場所なんだ。そう思わせてくれた出来事でした。

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