能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!
50周年、心からおめでとうございます!!!
その他のエピソード
あったかい居場所でした!
高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!
あったかい居場所でした!
高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
生徒➤指導者➤結婚式
私がアクシス河内長野校で校責任者を任されていた時に、生徒として通ってくれていたYさんが、その後、指導者になりともに働き、そして結婚式に招待してくれたことは忘れられない、いい思い出です。こういうやりがいがエネルギーとなり、20年以上もこの仕事を続けることができているのだと思います。
生徒➤指導者➤結婚式
私がアクシス河内長野校で校責任者を任されていた時に、生徒として通ってくれていたYさんが、その後、指導者になりともに働き、そして結婚式に招待してくれたことは忘れられない、いい思い出です。こういうやりがいがエネルギーとなり、20年以上もこの仕事を続けることができているのだと思います。
あったかい居場所でした!
高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!
あったかい居場所でした!
高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません! 何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。 個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。 そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが) ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
生徒➤指導者➤結婚式
私がアクシス河内長野校で校責任者を任されていた時に、生徒として通ってくれていたYさんが、その後、指導者になりともに働き、そして結婚式に招待してくれたことは忘れられない、いい思い出です。こういうやりがいがエネルギーとなり、20年以上もこの仕事を続けることができているのだと思います。
生徒➤指導者➤結婚式
私がアクシス河内長野校で校責任者を任されていた時に、生徒として通ってくれていたYさんが、その後、指導者になりともに働き、そして結婚式に招待してくれたことは忘れられない、いい思い出です。こういうやりがいがエネルギーとなり、20年以上もこの仕事を続けることができているのだと思います。