高校受験のときには生徒としてお世話になり、大学時代には事務スタッフとしてお世話になったので、能開での思い出は一言では語れません!
何より言えるのは、ただ単に勉強の科目を教えてもらうだけでなく、先生とのコミュニケーションも深かったからこそ、能開での時間は当時の私の生活の一部になっていたなと思います。どの先生方も個性的で楽しく、相談すれば親身になってくれる人ばかりでした。
個人的には教え方云々よりも、先生が大好きだから勉強も頑張ろうと思えたし、アルバイトでもいいからまた戻りたいと思って雇っていただいたんだろうなぁと感じます。
そのおかげで、私は二児の母になりましたが、子供を塾に行かせるなら絶対能開と思ってます!(残念ながら最寄りにはなさそうですが)
ワオコーポレーションが50周年になるとのことで、お祝いしたい嬉しさと同時に、郡山校が閉校するのは寂しく感じています。また先生方にお会いできると思ってますので、その日までお元気でお過ごしください!
その他のエピソード
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
私の原点
中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。
私の原点
中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。
ありがとうございました!!
能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!
ありがとうございました!!
能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
小学生の頃の課題図書の話
小学生の頃、1クールに一冊ほど、本を教材として配布されていました。その中でも、いちばん強く記憶に残っているのが『ファーブル昆虫記』です。たしか、フンコロガシの話だったと思います。読書が大の苦手だった私は、本を手渡された瞬間から気が重く、「読む」という行為そのものに強い抵抗を感じていました。案の定、ろくに読まずにいたところ、当時の国語担当だったK谷先生に、ものすごい剣幕で怒られました。そのときの表情と声の大きさは、今でもはっきりと思い出せます。頑張っては読んだのですが、当時の私にはその本の面白さがまったく分かりませんでした。「いったい、これに何の意味があるんだろう」そんな気分で、ただページをめくっていた気がします。今になって考えると、小学生にあの分量の本を読ませるのは、少し酷だった気もしますが、国語が苦手なままの今の自分を見ていると、あの頃の読書が大切だったことをつくづく感じます。今、私はニュース原稿を書く仕事をしています。拙い国語力で文章と向き合いながら、もしあの頃もっと本を読んでいたら、こんなに苦労せずに済んだのだろうか、などと考えることがあります。『ファーブル昆虫記』も、今読み返せば、また違った景色が広がっているのかもしれません。
私の原点
中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。
私の原点
中学受験、高校受験、大学受験、そして大学生の時はチューターとして大変お世話になりました。 幼少期は地元でぬくぬくと過ごしていたため、世の中にはこんなに賢い人達が居るんだと周りの学力に恐れ戦いた小学生時代。もうこれ以上歴史について暗記することは無いだろうと心に誓った中学時代。部活終わりにおにぎりを食べながら小走りで能開に向かっていた高校時代。どの時期も大変だった記憶はありますが、何より能開センターの空気感が大好きで、先生方のおかげでどの受験期も何とか乗り越えることができました。 そして有難いことに大学時代はそのままチューターとして働かせていただきました。学生時代は憂鬱だったクラス分けテストや、夏期・冬期・春期講習、もちろん普段の授業に対しても、どの先生方も生徒のために随分前から沢山準備をして下さっていて、当時はその有り難さを十分に理解できていなかったと密かに反省し、少しでも力になればと思いながら働いておりました。今では夢を叶えて医師として働いておりますが、今の私を作ってくれたのは能開の先生方、同じ受験期を乗り越えた同級生、そして能開へ通わせてくれた両親であり、皆さんへの感謝の気持ちを忘れず、これからも精進して参ります。
ありがとうございました!!
能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!
ありがとうございました!!
能開センターには、小学校5年生から高校3年生まで、また大学・大学院生の時は個別指導Axisにアルバイトとして勤務しており、計14年間(!)お世話になりました。もはや親の次に私の成長を見守ってくださっていたといっても過言ではありません。優しくて面白く、ときにはスパルタ(笑)な先生方に支えられ、能開センターで出会った個性豊かな仲間たちとたくさん勉強した日々は、今思い返してもかけがえのない時間でしたし、勉強以上に大切なことも教えて頂いたなーと感じております。本当にありがとうございました!50周年、心からおめでとうございます!!!
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。
「教える」原点
中学生の頃生徒として通っていた能開センターに大学生となった私が講師として帰ってこれました。学校教諭を目指していた私に数学の講師として働く機会を与えてくださったからです。数学を教えるという経験が乏しかった私に「確率は表にまとめて考えさせる」「チョークの色を効果的に使い分けて視覚的な理解を促す」などの教えるイロハを教えてくださりました。そのようなたくさん教わった中でも最も考えさせられたのは「持ち帰ったノートを生徒が見て、先生の教えてくれたことを再度理解できる板書を作ることが大事」ということです。これは公立高校の教諭として働く私が今でも大事にしていることです。能開センターでの講師経験が私の「教える」原点です。